家族…m(_ _)m

日々
02 /26 2016

短いあいだに色々と押し寄せて来た…。
どう表現していいのかわからない…。

しまっておくのも大変そうなんで、ちょっと吐き出しときます。



1月中頃に96歳の祖母が気管支炎で入院した。
3年ほど前から実家で母が面倒をみていた。

妻と一緒に病院へ行ったりした。

その次の週、妊娠中の妻が入院した。
妊娠高血圧症候群らしい。

病院を行ったり来たり…。

そうこうしてると祖母が退院した。
車椅子を押して実家に帰った。

帰っては来たけれど、寝たきり状態になってしまった。

妻の状態もあまり良くなく、予定日はまだ先だが促進剤で早く出産することに。

朝から順調だったが昼から赤ちゃんの様子があまりよくないとのことで、急遽帝王切開することになった。

15時頃に無事出産!
2875gの男の子、名前は奏大朗(そうたろう)。

術後、妻は少し出血が止まらなかったらしく、この日の夜は少してんやわんや。

実家の祖母は口から食べ物をとろうとせず(とれない?)どんどん様態が悪くなっていった。

祖母にひ孫を会わせたいと長いこと思って来たけれど、どうしようも出来ない…。

奏大朗が産まれて一週間。
なんとか妻も回復して退院。

翌日は祖母の誕生日。
もう何も口に出来ずにいた。
でも「もう病院にはいかない!」という。
97歳になった。

翌日、妻が奏大朗を連れて祖母に会いに来てくれた。

祖母は奏大朗を見ると顔が少しほころんだ。

ほんの30分くらいだが、祖母と奏大朗は一緒にいて、そして帰っていった。

祖母は疲れたのか、静かに眠り始めた。

母と僕とデイケアの方と三人で側にいたのだが、ふと気がついて祖母の手を握り顔をのぞき込むと、祖母は亡くなった…。




もともと、5人で暮らしていた。

僕と父・母、それに母方の祖父と祖母の5人。


父は43歳の時、ある日突然心筋梗塞で亡くなった。
僕は中学2年だった。

祖父は僕が26歳の時に亡くなった。

母は父が亡くなってから、大阪市内に勤めだした。
なので、僕は祖母と過ごした時間がとても長い。

母も僕も一人っ子だから、祖母にしてみればたった一人の孫だ。

父が早くに亡くなり、母が働いている時は祖母がずっと側にいてくれた。

とても可愛がってくれたし、面倒もいっぱいみてくれた。



ありがとうm(_ _)m




嬉しいと悲しいのあいだで揺れています…。

いつまで続くやら…。






ありがとうございますm(_ _)m































スポンサーサイト

川辺ぺっぺい Peppei Kawabe

 1967年1月26日。京都市生まれ。A型。高校生の頃よりエレクトリックベースを始める。大学入学と同時に本格的なバンド活動を開始。関西のライブハウスを中心に活動し、様々なコンテストでも高い評価を得る。山田晴三氏に師事。様々なジャンルの音楽に精通し、数多くのバンド、ユニット、セッション、アーティストサポートで活躍中。またベースプレイだけではなく、作詞・作曲もこなすクリエイティブなアーティストとして活躍。楽曲の提供だけではなく、自らもシンガーソングライターとして活動している。Fuji Rock Festival'03に出演。Cuba Disco'04(キューバ最大の音楽フェスティバル)にキューバ政府の招待により出演。JEUGIA彦根店(ヤマハPMS)JEUGIAフォーラム御池(京都)、RITZ楽器(瀬田)、トリイ楽器(近江今津)、VOCH(ヴォーチェ)(長浜)等でエレクトリックベース・ウクレレのレッスンも行っている。